男女共同参画・ワークライフバランス委員会

ご挨拶

 日本小児内分泌学会は、大好きな小児内分泌学を学びたいという「医友の集まり」です。学びの実現のために必要なピースは多岐に渡りますが、本委員会は、学会における、性別・所属・地域を問わず誰もが学会活動に参加して活躍できる「一隅を照らす人を大切にする」ありかたを大切にしています。多様な「学び」の共有のためのリレーコラム、様々なライフステージにある学会員に向けた学術集会企画セッション、「学び」の実現につながる、内分泌専門医研修受け入れ施設リスト(卒後教育委員会・糖代謝委員会・男女共同参画ワークライフバランス委員会)の公開等を通して、さまざまなキャリアの段階にある学会員の学びの継続の一助となる活動を進めています。ぜひ本委員会の活動について活発なご意見をお寄せください。何卒よろしくお願いいたします。

委員長 藤澤泰子

index

リレーコラム

  • Vol.2
    阿部 清美(あべ きよみ)
    所属:さいたま市立病院小児科

     憧れの藤澤泰子先生からバトンをいただけるなんて、本当に光栄です。このコラムを通じて自分のキャリアを振り返ると、がむしゃらに研修に励んだ20代、もがきながら悩み過ごした30代を経て、今は新しいことに挑戦し続ける40代を歩んでいるのだなと感じます。医師としてのキャリア形成と同様に、結婚・出産・育児といったライフイベントも、私にとっては欠かせないものであり、その都度、多くの方に助けていただきながら、どうにか今も臨床と研究を続けることができていることに、心から感謝しています。続けてこなければ、今の自分はなかったでしょうし、これからも続けていかなければ、さらに高い頂には届かないわけであり、「継続すること」の大切さと、その時々に成し遂げる覚悟も必要だと感じています。実際は、毎日全力で過ごし、なんとか踏ん張りながら乗り切っている状態ですが・・・皆さんはいかがでしょうか?

     小学生の頃、「自分の将来の夢」をクラスメイトの前で話す機会がありました。「将来は、こどもの未来の可能性を広げる仕事につきたいです。小学校の先生か小児科医になりたいです」と語ったところ、クラスの友人に「自分も、まだこどもやん!(博多弁)」とつっこまれたことを、今でもよく覚えています。その頃から思いは変わらず、佐賀医大(現・佐賀大学医学部)に入学。学生時代にご指導いただいた先生方が大学院で研究をされ、留学も経験されていたことから、医師として同じようにキャリアを積むのはごく自然なことだと信じ、今日まで突き進んできました。また、佐賀医大は女性医師の割合が高く、結婚や出産後も活き活きと働く先輩方が身近にいらっしゃったため、自分のキャリア形成を考えるときも、結婚や出産の機会に恵まれれば迷わず経験したいと思っていました。とはいえ、実際には簡単なことは何ひとつなく、奮闘の毎日でした。「なんでママは他のお友達(患者さん)のところばかり行くの?」と、後に長女に言われたときには、このままのペースで仕事を続けていいのかと悩んだこともあります(とはいえ、辞めるという選択肢は一度も浮かびませんでしたが)。

     大学卒業後は、九州大学医学部小児科に入局しました。小児科医としてしっかり鍛えられ、これからサブスペシャリティとして内分泌領域に進もうと決めた矢先に、東京から福岡こども病院に研修に来ていた主人と出会い、結婚を機に東京へ行くことになりました。東京でも、さらにキャリアアップしたいという思いは強くありましたが、まったくツテのない状態。私にあるのは、父の転勤で3回小学校を転校した経験で身につけた“コミュニケーション力”だけでした。そのコミュ力をフルに活かし、国立成育医療研究センターの堀川玲子先生に「ここで働かせてください!」と直談判。ありがたいことに、採用していただけることになりました。働き始めて間もなく、長女の妊娠が判明しました。「どうしよう?」と不安を感じながら堀川先生に報告したところ、「おめでとう!」という第一声をいただき、その温かい応援に支えられて、無事に出産することができました。出産報告の際には、「いつ復帰する?私はこどもの頸が座ったら復帰したけど」と、堀川先生から励ましのお言葉をいただき、産後3か月で職場に復帰しました。復帰した翌月には日本内分泌学会での口演発表を控えており、授乳と並行して学会準備に追われる日々でしたが、今ではそれも良い思い出です。

     成育で内分泌・代謝学の臨床研修を4年間行った後、大学院で研究に取り組みたいという思いから、慶應義塾大学大学院医学系研究科へ進学しました。その際、当時の九大の恩師である井原健二先生(現・大分大学医学部小児科教授)に多大なるご支援をいただき、医局も九州大学から慶應義塾大学医学部小児科へ転局することになりました。大学院入学のわずか2週間前に長男を出産しました。長谷川奉延先生(現・慶應義塾大学名誉教授)からは「おめでとう」と温かく祝福していただき、研究仲間として迎え入れてくださったことが、今でも昨日のことのように思い出されます。産後の病室で、生まれたばかりの長男が隣で眠る中、「文科省リサーチアシスタント応募申請」の書類を作成し、メールで鳴海覚志先生(現・慶應小児科主任教授)に添削をお願いしました。このやりとりが、私にとって鳴海先生からの最初のご指導となりました。

     研究生活では、長谷川奉延先生、石井智弘先生(現・東京都立小児総合医療センター内分泌・代謝科部長)、鳴海覚志先生の温かいご指導のもと、のびのびと研究に取り組ませていただきました。研究成果を国内外で発表する機会にも恵まれ、発表準備の際には、慶應小児科代謝内分泌班の名物である「合宿」と呼ばれる抄録・プレゼン指導にも参加しました。この「合宿」が始まると、我が家も“合宿体制”に入り、福岡の実家から両親を呼び寄せ、家事や育児をサポートしてもらいながら、どうにか乗り切っていました。ラボでは、鳴海先生とデスクを並べて、「サイエンスとは」「学位取得とは」「よいプレゼンとは」など、先生の研究哲学をうかがいながらディスカッションを重ね、研究に没頭できた時間は、まさに人生の宝物です。この頃は、自分の力不足に落ち込んで、よく弱音を吐いていましたが、室谷浩二先生(現・神奈川県立こども医療センター内分泌代謝科部長)が「周囲との比較は全く無意味だよ。自分の良さを活かしてがんばればいい」と何度も励ましてくださり、おかげで前に進むことができました。そして、長谷川奉延先生にも鳴海覚志先生にも、根気強くご指導いただいたおかげで、無事に学位を取得することができました。学位取得の報告をしたときには、双方の両親を含めた家族全員が心から喜んでくれました。

     研究を始めて6年ほど経った頃、主人のロサンゼルスへの留学が決まりました。私自身も「LAで研究留学をしたい!」という強い思いがあり、留学先を探し始めましたが、当時はまったくツテのない状況。私にあるのは、これまで培ってきた“コミュ力”のみ。そこで、留学先として希望していたUCLAのDr. Gregory Brent(UCLA内分泌学・生理学教授、アメリカ甲状腺学会 前プレジデント)のラボで、かつて働かれていた小飼貴彦先生(現・獨協医科大学ゲノム診断・臨床検査医学主任教授)を訪ね、留学への熱意を直接お伝えし、小飼先生のおかげでDr. Brentへご縁をつないでいただくことができました。Dr. Brentにインタビューをしていただくために、ボストンで開催されたENDOの学会会場へ突撃することを決めたのは、学会のわずか1週間前のこと。長谷川奉延先生のご推薦という心強い後押しもあり、その場で採用が決まりました。

     留学先では、中国やイタリアなど各国から来た研究者や、UCLAの学生たちと協力しながら研究に取り組みました。個性的で積極的、主張もはっきりしている彼らとの日々のやり取りの中で、世の中を生き抜く力を教えてもらったように思います。研究テーマは「Traumatic Brain Injury に対する甲状腺ホルモンの作用」で、in vitro および in vivo の実験を行いました。マウスを使った実験経験のなかった私ですが、小飼先生をはじめとする歴代の日本人留学生たちの素晴らしい業績のおかげで、「日本人は真面目で良い仕事をする」という同僚たちの潜在的な信頼感に助けられながら、3年間、充実した研究生活を送ることができました。また、ほとんど準備期間のないまま現地校に入学した我が子たちも、驚くようなスピードで英語を身につけ、バイリンガルとして楽しそうに話す姿に、親としてホッと安心したことを覚えています。ある日、ラボでの実験を終えて夕方6時に学校へ迎えに行くと、娘と息子の2人だけが校庭で取り残されて待っていました。「もう少し遅かったら、警察に連絡されるところだったんだよ!」と二人に叱られたことも、今では微笑ましい思い出です。また、子どもたちを主人に任せて夜に再びラボで実験し、深夜0時過ぎに駐車場の車へ戻る際には、銃社会ならではの緊張感を感じながら、息を止めるような気持ちで走って移動したこともありました。こうしたLAでの留学生活の一つひとつが、今ではすべて、自分にとってかけがえのない大切な糧になっていると感じています。

     帰国後は、慶應の関連病院で臨床に従事しつつ、研究日や週末を活用して、遺伝子改変マウスを用いた研究を継続しています。この「継続」も、周囲の方々のご理解とご支援、そして研究資金の継続あってこそ実現できていできていることであり、決して当たり前のことではないと、日々感じています。だからこそ、この恵まれた環境に感謝しながら、自分にできる限りの努力を続けていきたいと思っています。

     コラムの冒頭で「新しいことに挑戦し続ける現40代」と書きましたが、「40代って、もっと落ち着く時期じゃないの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。でも、出産や育児を挟みながらキャリアを積んできた中で、他の方とは異なるタイミングでさまざまなことを学び、経験する分、40代の今もなお挑戦の日々が続いています。自分と家族の健康に感謝しながら、これからも憧れの諸先生方の背中を追って成長を続けるとともに、小児内分泌学会のお役に少しでも立てるよう、力を尽くしていきたいと思っています。私の“コミュ力”でつなげられるご縁があれば、国内外を問わず、いろいろな場へと橋渡しできたら嬉しいです。ぜひ気軽にお声がけいただき、皆さんと一緒に、日本小児内分泌学会をさらに盛り上げていけたらと思います。
              

  • Vol.1
    藤澤 泰子(ふじさわ やすこ)
    所属:浜松医科大学小児科 病院准教授

     男女共同参画・ワークライフバランス委員会委員長の藤澤泰子です。この委員会は、性別・所属・地域を問わず誰もが学会活動に参加でき、活躍できる〜一隅を照らす人を大事にする〜仕組みの構築にむけたさまざまな活動を展開しています。このリレーコラムが多様な「学び」の共有につながることを期待します。僭越ながら、トップバッターを務めます。アメリカでの子連れ研究留学について書いてみたいと思います。

     呼吸器内科医の主人が日本で習得したマウス気管上皮の初代培養系をアピールポイントとして複数ラボにアプライし、カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)のラボにポスドクとして受け入れが決まったため、2007年4月に渡米しました。この時、長男が2歳。、UC Davisの中のラボにいくつかアプライしましたがポストは得られず、結局1つのラボには見学許可をもらって渡米しました。渡米の前にインターネットでサーチして現地の保育園を確保。長渡米後3日目で現地の保育園(日本人1人のみ)に預けらた長男は、バングラディッシュ人の園長先生に手をつながれて、園の中に入っていくときには、何度もこちらを振り返って「ママ(おむかえに)くる?ママくる?」と確認していました。初日のお弁当はまったく手がついていませんでしたが、あっという間に慣れてくれたのはありがたかったです。

     長男を預けて、ボスと面談して意気揚々とラボに向かったのですが、(本当かどうかはわかりませんが)3.11以降セキュリティーが厳しくなったとのことで、秘書のおばちゃんに、英語で、どうやらラボに入ることはできないというようなことを捲し立てられ、ポカンとしていると「Stay at home!!」と言い放たれました。仕方がないので帰宅し、そこからは、とにかくポスドクとして受け入れてくれるラボを探すことにしました。研究者ビザ(J1)子供ないし伴侶が持つJ2ビザで渡米しましたので、working permissionをもらって就労を可能にすることから開始しました。平行していくつものラボにアプライしたのですが、返事がないかポストがない、の連続。まあ自分の論文数では当たり前なのですが。そんなことをしていると、お友達になった日本人のポスドクの方が、転職するのでポストを引き継がないか、と声をかけて下さいました。ミトコンドリアと酸化ストレスを研究している生化学系のラボです。ただ、彼は、ちょっといいにくいんだけど、と前置きし、「ボス(イタリア国籍の女性)が結構moodyなので、紹介するかどうか迷っていたんだ」と。Moodyだろうがsexyだろうがなんでもいいので、紹介してください、ということでinterviewを受けました。結果、英語のスキルがpoorなこと、と実験の能力が未知数という理由で、「お試し雇用」となりました。1つのアミノ酸を置換してreconstructionしたタンパク(ATPase)の機能を解析したいが、これまでのテクニシャンは何人もうまくいっていない。これを軌道に乗せたら、雇用してあげよう。という話。一度もやったことのない実験(合成ATPaseに基質を入れて吸光度の変化をマイクロプレートリーダーで解析する)を、ひたすらやり続けました。頭のなかで常に流れていた音楽は巨人の星(思いーこんだら、試練のみーちーを〜)。です。ゴリ押しのfigureづくりはありましたが及第点をいただき、雇用してもらいました。小さなラボで、自分とテクニシャンの女性が1人。学生さんが1−2名(medical School志望のため推薦状のためにラボに来ているいうケースが多かったです)。なかなかハードな研究生活で、論文を書くと「あなたの英語をよむと、頭がいたくなって、TYLENOLがてばなせないのよ」と言われ、デスクの横に座らされて何時間もじっくり英語の添削をされる日々でした。ボス(Prof. Ceclilia Giulivi)はとてもキツイ時期で、grant gap(グラントが取れなかった)となってしまい、これは全てYasukoの出来が悪いから、となじられたりもして、凹むこともありました。駐車場からラボまで10分程度歩くのですが、イヤホンで「上を向いて歩こう」を聞きながら、気持ちを上げていく日々でした。

     このころに妊娠がわかり、さらに渡米初期には一度雇用する予算がないため断られていたラボからお誘いのメールがきました。だいぶん悩みましたが、産休を区切りとして同時にラボを移ることにしました。最初のボスとの関係も良好なままで転ラボに成功し、産後3ヶ月から新ラボでポスドクとして働き始めました。ボスはProf. Fumio Matsumura。メールのやり取りは全て英語でしたので、てっきり日系アメリカ人かと思っていたら、東大卒業後にアメリカに渡って学位をとり研究者として大成した毒素学のレジェンドでした。

     2人目を抱っこ紐で括ってインタビューにいったところ、仕事開始は待ってあげられるけど、あなたをdriveするものがあるのならば welcomeです、仲間になりましょう。と。ここでは、AhRというダイオキシンのレセプターでもある核内レセプターがなぜ猛毒ダイオキシンが結合するレセプターが淘汰されずに残っているか、という命題に取り組みました。こじんまりしたラボでしたが雰囲気が良く、高校生のママであるポスドクや、共同機器室で仲良くなったポスドクにはずいぶん助けてもらいました。子供のピックアップがあるので実験を最後まで出来ないときなどは続きを引き受けてくれたり、休日の細胞のメンテナンスをお手伝いしてくれたりなどなど。

     産後の仕事復帰自体は問題なかったのですが、この次男坊が生来の頑固者で、哺乳瓶を一切受け付けなかったのは想定外でした。朝に授乳して保育ママに預けるのですが、夕方のピックアップまでほとんどミルクを飲まずに泣いているらしく(お迎えにいくと大泉門が陥凹していました)、スペイン人の保育ママに、もう無理です。といわれ保育園を首になりました。このがんこbabyを抱っこ紐にいれて、市の保育課みたいな部門を訪問すると、「Oh, I am sorry~. We know!!」と、心配そうに声をかけられ、何か助けてくれるのかと思いきや、保育ママや保育園の電話番号リストが渡され、「電話してみて、Good luck!」さすがアメリカです。拙い英語で順番に電話をして訪問することを繰り返し、アメリカ社会に存在する人種の差や貧富の差、などをリアルに実感しました。結局看護師だったという初老の保育ママが預かってくださることになりました。

     2年の留学の成果は、first author の論文が2本と共著論文が2本。最初のラボでも私の巨人の星千本ノックアッセイデータをもとに途中まで書いていた論文を、first authorにしてくれて出してくれました。経験としては限定的ではありますが、皆さんへ伝えたいことは、変化はチャンス、しなやかさは武器、です。子供は足かせにはなりません(家事と勉強の足でまといにはなりますが)。

     超絶怖かった最初のボスですが、帰国後には共同研究で論文1本、日本での特別講演のあと浜松にも立ち寄ってくれて、子育てと仕事の両立についてアドバイスも。「Yasuko、家にいるときは、laptop立ち上げてはダメよ。こどもの話を聞かなくっちゃ!!」(すいません、できていません。)。あんなに出来損ないを私を雇用してくれたことには感謝しかありません。

     2人目のボスは、10 年前に、ウイルス感染からの間質性肺炎の急性増悪で他界されました。ICUでも論文を書いていたと聞きました。お弟子さんが綴ったボス語録を載せたメモリアルカードをいただきました。「Do you realize how lucky you are for this opportunity ot pursue education, to work in this lab, and to contribute something to science?」。背筋を伸ばさずにはいられません。

     さて、今日もがんばりますか。

    委員会活動の記録

委員会メンバーの紹介

2014年

[卒後教育委員会 女性医師支援部門] 
委員長
長谷川奉延
委員
堀川玲子、村下眞理

2017年

[女性支援・ワークライフバランス委員会]
委員長
伊藤純子
副委員長
位田忍
委員
井原健二、惠谷ゆり、鞁嶋有紀、管野潤子、小山さとみ、長崎啓祐、堀川玲子、間部裕代、村下眞理

2022年

[男女共同参画・ワークライフバランス委員会]
委員長
藤澤泰子
副委員長
難波範行
委員
伊藤純子、宇都宮朱里、鞁嶋有紀、菅野潤子、蜂屋瑠見、水野晴夫、村下眞理、矢ヶ崎英晃

年次活動報告

2015年

  • 専門医取得を希望する女性医師の受け入れ可能な医療機関の調査(評議員対象)
  • 女性医師がライフステージにあった仕事を継続し、専門医取得のための環境整備に関するアンケート調査(会員全員)

2016年

  • 「女性医師のための認定教育施設リスト」 全国42認定教育施設リストをHP会員専用サイトにアップ。会員の年齢、性別、専門医・指導医、学術集会の女性演者・座長の調査開始

2017年
第51回日本小児内分泌学会学術集会

  • Meet the Expert 8 (9月30日 10:35-11:20)
  • 女性キャリアとNutrition-心と身体に栄養を (Nutrition for Body and Heart)
  • 国立成育医療研究所センター 内分泌代謝科 堀川玲子先生
  • ポスター発表
    • 日本小児内分泌学会女性会員の動向調査-アンケートの結果報告(P6-1-19)
    • 日本小児内分泌学会における女性医師の演者・座長登用数の調査 (P6-1-20)

2018年
第52回日本小児内分泌学会学術集会

  • キャリア支援とワークライフバランスを考えるサロン
  • 日本小児内分泌学会女性会員の動向調査について-アンケートの結果報告-
  • 女性支援・ワークライフバランス委員会 村下眞理
  • キャリア支援、子育て支援、ワークライフバランスを考えた職場環境について(スモールグループディスカッション)

2019年
第53回日本小児内分泌学会学術集会 

  • 女性支援・ワークライフバランス委員会特別企画
    • 「女性医師から見た再生医療開発」
      神戸アイセンター病院、理化学研究所生命機能科学研究センター、株式会社ヴィジョンケア髙橋政代 先生  

2021年
第54回日本小児内分泌学会学術集会(WEB)

  • キャリア支援とワークライフバランスを考えるサロン
    • 講演1 「ワークライフバランスとジェンダーフリーを考えた教室運営」
      大分大学医学部 小児科 井原健二 先生
    • 講演2 「小児内分泌科医のキャリア戦略」
      神奈川県立こども医療センター 内分泌代謝科 室谷浩二 先生
    • 講演3 「小児内分泌科医の働き方―私の場合−」
      浜松医科大学附属病院 小児科 藤澤泰子 先生

2022年
第55回日本小児内分泌学会学術集会

  • 委員会企画シンポジウム「働き方改革 その前に―私達はどう働きたいのか?」
    • 座長:難波範行(鳥取大学医学部周産期・小児医学)・藤澤 泰子(浜松医科大学小児科)
    • 「シングルキャリアから高齢出産・育児を経て感じること~「働く」のあり方このままでいいですか~」
      演者:鞁嶋有紀(島根大学医学部小児科学教室)
    • 「大学勤務医と開業医とのキメラな生き方〜ミドルキャリアを使命と人生にどう活かす?〜 
      演者:曽根田瞬(たなか成長クリニック/聖マリアンナ医科大学小児科)
  • 「ブレインストーミングしよう!聴講者参加型 Zoom リアルタイム投票」
  • 特別講演1 (委員会共同開催)
    「多様性を受け入れる社会に向けて:ジェンダードリサーチのススメ」
    演者: 大隅典子 先生(東北大学 副学長(広報・ダイバーシティ担当)・附属図書館長・東北大学大学院医学系研究科発生発達神経科学分野 教授)

日本小児内分泌学会における10年間の活動報告のまとめ

Murashita M, Ito J, Hasegawa T: The first survey about women doctors in the Japanese Society for Pediatric Endocrinology (JSPE). Clinical Pediatric Endocrinology, vol.30 No.3, pp121-126, 202 doi: 10.1297/cpe.30.121 2021

内分泌代謝科専門医研修および糖尿病専門医研修受け入れ施設リスト(2024.5.23)

 日本内分泌学会認定教育施設および日本糖尿病学会認定教育施設をリストアップし、専門医研修の受け入れ状況を記載しました。

 日本小児内分泌学会は、すべての学会員のみなさんに専門医・指導医資格を積極的に取得していただきたいと考えております。学会員の置かれた状況はさまざまであり、また認定教育施設の地域偏重といった問題も存在します。本リストを活用いただき、積極的にキャリアを積み重ねていっていただきたいと思います。

PDFファイル

卒後教育委員会・糖代謝委員会・
男女共同参画・ワークライフバランス委員会

ページのトップへ