若手医師へのメッセージ

We're always following you.:小児内分泌学トップランナーから

  • Vol.8
    宮戸 真美(みやど まみ)
    所属:国立成育医療研究センター研究所 分子内分泌研究部 上級研究員

    自己紹介

     鹿児島県出身です。大学院修士課程まで鹿児島大学理学部で化学を専攻し、その後、熊本大学大学院医学研究科に在籍して生物を勉強しました。医師免許を有していませんので、医師の先生方のように患者さんの診療に直接関わることはありません。また、使われている薬の名前もわかりませんので、若手医師の先生方に教えてもらっています。そのため、臨床的な貢献ではなく、モデル動物や培養細胞をもちいた基礎研究の解析結果から、小児内分泌学分野の発展に貢献できると考えています。
     私は、2008年から、国立成育医療研究センター研究所 分子内分泌研究部(所属当初:国立成育医療センター研究所 小児思春期発育研究部)に所属しています。これまで当研究部前部長の緒方勤先生(現 浜松医科大学特命研究教授・特定教授)と現部長の深見真紀先生(2011年に部長就任、2021年に研究所副所長就任)のもとで、小児内分泌について学んできました。現在、チームリーダーとして、医師および医師以外の若い研究者とともに研究を進めています。今回、執筆の機会を賜り、本学会のメンバーが医師だけではないことを、若手医師の先生方にも知っていただく良い機会だと思いました。

    (写真1)筆者

    日本小児内分泌学会に参加しての気付き

     2009年から会員(2019年から評議員)として、本学会活動に参加しています。本学会に初めて参加したとき、どの演題においても質疑応答が非常に活発に行われており、この学会の先生方は皆凄いなぁ~という強烈な印象が残ったことを今でも覚えています。とくに受賞演題選考セッションでの質疑応答時の熱気には毎年圧倒されています。
     また、本学会では、質問するためにマイクに出来るだけ近い席を取ることが大事であることも学びました。私には臨床に関する質問はほぼ出来ませんが、マイク近くに座って違う視点からの質問(あまりにも的外れのため、ご迷惑をおかけしているかもしれません)をするようにしています。大きな会場で質問することは、勇気と意気込みが必要(実際、いつも心臓バクバクです)で、突然出来るようになるものではありません。そのため当研究部では、ラボカンファレンスで必ず一つは質問あるいはコメントをすることから始めましょうと、たびたび話題にしています。何かを発言しようと思っているか否かで、発表を聞く真剣さは全然違ってくると思います。若い先生方は、明日からのラボカンファレンスでぜひ毎回何かしらの発言をしてみてください。毎回一言を続けていくと、発言することへのプレッシャー(?)に少しずつ慣れ、大きな学会場でも発言できるようになります。実際、学会場で発言している人の顔を見ると、当研究部の関係者がとっても多いものです。対面に戻った際には、マイク近くの席に座って発言の機会を競い合い、本学会を盛り上げていきましょう。

    (写真2)第43回日本小児内分泌学会学術集会での優秀演題賞受賞時(2009年10月、於 栃木)。
    筆者(左)と横谷進先生(右)。

    メッセージ

     分子内分泌研究部では、成育医療(生殖と成長に関するライフサイクルに関する医療)に含まれる胎児期、小児期、成人期に発症する内分泌疾患およびそれらに関連する奇形症候群を含む疾患などにも注目しています。国内外の施設の先生方からさまざまな疾患の患者さんの検体をお送りいただき、継続的に検体を集積しています。現在では1万を優に超える検体を臨床的および分子遺伝学的手法をもちいて解析し、新規疾患発症遺伝子の発見、疾患成立機序の解明を目指しています。これらの解析に関して、臨床医および基礎研究者の非常に多くの先生方と共同研究を行っています。
     十数年、当研究部に在籍しています。その間、たくさんの若手医師の先生方が、大学院生あるいは研究員という形で全国各地から当研究部に来られました。現在も多くの先生がいらっしゃいます。振り返ると、学生実習以来、久しぶりにピペットマンを握ったという先生も多々おられました。それらの先生方は短期集中で基礎研究を進めて得られた結果を論文化して、臨床の場に戻られていきます。その後、小児内分泌の分野をはじめ医療の現場で大変活躍されています。当研究部では、部長の深見先生を中心に、味わい深いメンバー構成(4チームあります)で日々研究を続けています。小児内分泌学分野における新たな知見の獲得に向けて一緒に研究したい方を募集しています。

    (写真3)深見先生副所長就任お祝いの記念写真(2021年6月、於 成育)。
    深見真紀先生(左前)、筆者(真ん中)と分子内分泌研究部の先生方。

  • Vol.7
    池側 研人(いけがわ けんと)
    所属:東京都立小児総合医療センター 内分泌・代謝科

    はじめに

     数々の著名な先生方が、とても参考になるご自身の経験を示してくださっている中で、小児内分泌の世界に入って2年半の私が、執筆の機会を頂くことになり、身に余る大役と感じています。私は、現在、都立小児総合医療センターで内分泌・代謝科と共に臨床試験科にも所属しており、多くの若手小児内分泌科医がたどるキャリアとは少し異なる道をたどっておりますので、これから小児内分泌科医を目指す、さらに若い世代の参考になることを願い、この文章を書きます。

    小児内分泌科を専門に決めるまで

     私は静岡県の浜松市で育ち、2014年に名古屋市立大学を卒業しました。その後、聖隷浜松病院で2年間の初期研修を行い、2016年から東京都立小児総合医療センターで小児科としての後期研修を始めました。
     当院の小児科レジデント研修では、他科をローテートする機会があり、2017年(小児科2年目)に内分泌・代謝科を2ヶ月間ローテート致しました。この2ヶ月間のローテートの間、初発の1型糖尿病患者さんの管理や、外来初診の対応を主治医として関わらせて頂く機会を頂きました。その時、糸永知代先生(現 大分大学所属)に丁寧にご指導頂き、さらに長谷川行洋先生からも直接たくさんのご指導を頂きました。この2ヶ月の間、小児内分泌の学問としての面白さに触れ、長谷川先生を始めとした都立小児で働く先生方の人柄、教育に対する姿勢に感銘を受け、2019年4月から都立小児内分泌・代謝科で働かせて頂くことになりました。

    小児内分泌科研修を始めて

     当院の内分泌・代謝科で2年半働き、とても充実した日々を送ることができ、本当にこの環境で働くことができて良かったと思っております。ここで少し当院の研修の特徴について紹介させて頂きたいと思います。
     まず1つ目の特徴は、豊富な症例を経験できることです。小児病院という特性から、毎日複数の院内コンサルトがあり、その内容も多様です。また、当院の医療圏には、東京都多摩地域の小児52万人が住んでおり、長谷川先生が長い年月をかけて築いてこられた地域医療との関係も強いため、他施設から数多くの紹介を頂きます。研修1年目から指導を受けながら、初診患者の診療に直接的に関与することができます。個人的には、現在までの2年半の間に初診、再診、他科からからのコンサルトを含めて約500例の患者さんを診療させて頂き、多くの経験を得ることができました。
     共に切磋琢磨できる若手・中堅医師が多いのも当院の研修の大きな特徴です。現在、北海道から沖縄まで日本全国から集まった13名(うち4名は外来のみ)の若手・中堅の医師が、当院で共に学んでいます。日々の診療はもちろん、カンファレンスや勉強会では活発な議論が行われるため、多くの学びが得られます。このような素晴らしい仲間を得られたことは、私の一生の財産です。
     最後に長谷川先生の教育を受けられることが、当院の研修の最大の特徴だと思います。長谷川先生の素晴らしい人柄、豊富な臨床的知識は多くの小児内分泌科医が知るところかと思いますが、さらに、教育に対して非常に熱心です。毎日のカンファレンスでは必ず学びになる新しい知識を教えて下さります。その内容は、小児内分泌の歴史的な内容や最新の知見、ご自身の経験など多岐にわたり、多くの刺激が得られます。さらに1対1での教育の機会も多く設けて頂けます。私が小児内分泌科医になったばかりの最初の1年間は、1-2週間に1度、必ず対面の時間を作って頂き、症例や研究に関する相談にのって頂きました。いまでも、われわれ若手に定期的に声をかけ、時間を作ってくださいます。

    (写真)東京都立小児総合医療センター 内分泌・代謝科メンバー13名と見学者2名
    (前列中央が長谷川行洋先生。後列右端が筆者、左端の2名が見学者)

    臨床研究について

     2019年4月から現在まで、私は当院の臨床試験科も兼務させて頂いております。臨床試験科の森川和彦先生のもとで、臨床研究や統計について学ぶ機会を得ながら、実際の臨床研究、臨床試験に携わっております。臨床試験科としては、新型コロナウイルスに対するワクチンの抗体価・副反応調査、神経因性膀胱に対するボツリヌス毒素の安全性に関する先進医療、マイコプラズマ肺炎に対するステロイドの有効性に関するRCTなどに主に関わっています。内分泌・代謝科としても、Turner女性の骨密度調査、11-ketotestosteroneの由来に関する研究、腎性尿崩症に対するDDAVPの安全性・有効性に関する研究、XLHに関する研究などを現在進めております。臨床研究を行うためには文献を検索することが必要で、そこから多くの学びが得られます。さらに多くの症例を扱う施設として、臨床研究からエビデンスを創出していくことは社会的に重要な責務だと感じています。

    今後について

     現在31歳と若手であり、まだ30年以上の医師人生が残されています。まずは、小児内分泌学、臨床研究について学び、幅広いことにチャレンジしていきたいと思います。その上で、質の高い臨床研究を行い、日本から世界に発信して行きたいと思っています。小児内分泌の分野では多くの稀少疾患を取り扱いますので、多機関共同研究や学会主導の研究など小児内分泌科医が一致団結して行う研究が今後さらに増えていくことが必要であり、そこに自分が関与し続けたいと思います。

  • Vol.6
    川井 正信(かわい まさのぶ)
    所属:大阪母子医療センター研究所 骨発育疾患研究部門/消化器内分泌科 主任研究員

    自己紹介

     出身は大阪です。大阪北部の箕面市というところにずっと住んでいます。箕面市にはミスタードーナツの一号店があります。あと野生のサルがたくさんいて、きれいな滝もあります。大阪に来られた際は、ぜひ箕面大滝に足をお運びください。さて、私は1998年に大阪大学医学部を卒業しました。大学病院、市民病院で4年間研修したあと、2002年に大阪府立母子保健センター(母子センター)第一内科(現 消化器・内分泌科)で勉強し、2003年より大阪大学医学部小児科で大学院生となりました。2008年にアメリカのメインメディカルセンター研究所に留学し、2010年より現職です。

    研修医時代

     大阪大学医学部付属病院の14階にスカイレストランというレストランがあります。学生時代のポリクリの時に、担当していた教官がそこに昼食に連れて行ってくださりました。いつもより少し豪華な昼食とともに、その先生が非常に楽しそうに留学中の思い出を語っておられたのが印象的で、その時に留学をしてみたいなと思ったことを覚えています。
     1年目は同期と共に大阪大学医学部附属病院小児科での研修でした。2年目は別々の市中病院に赴任するのですが、いくつかの候補病院を提示され、同期で相談して決めるという形でした。皆であれやこれやと議論するのですが、その際、先輩の先生に「場所じゃないよ。自分自身だよ。」と言われました。ずっと、その言葉を思い出しながら、これまでやってきています。
     2年目は市民病院で楽しく過ごしていたのですが、先輩医師の中に大学院を卒業したての先生方がおられ、いろいろとお話をするうちにやはり研究をやってみたいと思うようになりました。残念ながら、“このような患者と出会い、研究をしたくなった”というような過去はありません。しかし、その時に、“大学院に進んで研究を行うには、やはり英会話力と論文を書く力が必要”と思い、英会話CDを買いポータブルCDプレーヤーで聞き始めました。英語で論文を書く機会はしばらくなかったのですが、5年目に母子センターの位田忍先生のもとで研修していたときに、英文論文を2本書く機会を得ることができました。実は2本とも小児内分泌学の論文ではなく、小児消化器病学の論文なのですが。初めてアメリカでの国際学会に参加したのもこの時です。DDW(Digestive Disease Week)と呼ばれる消化器病関連の非常に大きな学会で、前述の論文のテーマを発表しました。幸か不幸か、口演に採用されました。そのころは、母子センターのすぐそばにある英会話学校に駅前留学していたのですが、何の役にもたたず、落ち込んだことを覚えています。その時の座長の先生がイタリア系の先生だったのですが、「私もこの国では外国人であり、言葉のことでは苦労しているよ。」と言っていただき慰められました。座長をされるような先生でも苦労するのだから、1年弱駅前留学しただけの僕が苦労するのは当然と思い、その後も英語を聞き続け、アメリカ留学をするまで6年間駅前留学を継続しました。

    20代後半から30代

     2003年、大阪大学小児科で大学院生になりました。大薗恵一先生が教授に就任されて2年目くらいの頃だったでしょうか。成長ホルモンやWntシグナルの脂肪細胞分化における役割に関する研究を行い、学位を取得しました。家族の都合もあり、学位取得後の留学は半ばあきらめていたのですが、第二子の誕生と育休期間延長の法改正(?)があったことが重なり、家族で留学することができました。大薗先生と相談し、骨代謝・脂肪細胞代謝を中心に研究をされているClifford J Rosen先生のところに留学することになりました。Rosen先生が出した留学の条件の1つが“それなりに英語ができること“であり、2007年にハワイで行われたアメリカ骨代謝学会を利用して、学位論文を発表する形式でインタビューを受けることになりました。発表が終わった後、道上敏美先生から、「今の発表なら大丈夫そうだね。」と言われたのを覚えています。6年間の駅前留学の効果でしょうか?
     留学場所はアメリカのメイン州のメインメディカルセンター研究所というところです。メイン州のBar Harborという街には、実験ネズミで有名なJackson研究所があります。Rosen先生は臨床をしながら、Jackson研究所で基礎研究を行っていました。しかし、基礎研究に専念するためにラボをメインメディカルセンター研究所に引っ越し、ちょうどそのタイミングで私が留学しました。留学当時のラボは、Rosen先生・テクニシャン・私、そしてノックアウトマウスの構成でした。実験するのが私だけだったので、すべての研究計画に関わり、3報の原著論文を執筆することができました。また、Rosen先生には数多くの総説依頼が舞い込んできており、留学早々に「書く?」と聞かれて、英文総説など書いたことはなかったのですが、「もちろん」と答え、必死に書いたことを覚えています。その結果、その後も数多くの英文総説を書く機会をいただき良い経験になりました。Rosen先生は頻繁にゲストを招き研究所内で講演会を行っていました。その時には必ずラボミーティングを行ったのですが、私しか実験をしていないので、毎回発表をしていました。さらに、アメリカ内分泌学会やアメリカ骨代謝学会をはじめ、何度も口演する機会を得ました。最初はラボの小ささには少しびっくりし不安もありましたが、逆に多くの機会を得ることができ、今では良かったと思っています。私が帰国するころにはラボの人数もだいぶんも増えており(写真1)、留学時期が遅れていれば、このように多くの機会を得ることはなかったでしょう。

    (写真1)留学時代の写真。前列左から二人目がRosen先生。一番右が筆者。
    筆者が帰国する頃には、もっと人数が増えていました。

     
     Rosen先生からはStable Jobを用意するからアメリカに残らないかと誘われましたが、道上先生から母子センター研究所で研究を継続する機会をいただけたこともあり、2010年に帰国しました。帰国後5年間は、バイトも一切せず、患者を一人もみることなく基礎研究を行いました。私が研究医(臨床研究医であれ、基礎研究医であれ)にとって一番大切と考えていることは、“自分でテーマを見つけ、自分でそれにアプローチし、そして自分で結果を論文にまとめること”です。簡単に言えば、“筆頭かつ責任著者として論文を書く”ということです。この機会を30台半ばから後半にかけて得ることができたのは、本当に良かったと思います。

    40歳をこえて

     当時、母子センター消化器・内分泌科の部長であった位田先生が2017年の日本小児内分泌学会(写真2)を主宰することになり、気軽な感じで「手伝ってね。」と言われました。同じころ、「もうすぐ定年だから内分泌の患者を引き継いでね。」とも言われ、患者を診るようになりました。リハビリ期間を経て外来を持つようになり、自身の色々な変化に気づきました。点滴の際に針先がよく見えなかったことには大変驚きましたが、一番感じたことは、昔とは明らかに違う目で患者を診ることができているということでした。そこで、患者を診て疑問に思うことを臨床的に調べ、論文としてまとめていくことにしました。論文を書くためには、勉強をする必要があります。そうすると、その分野に関する理解が深まり、患者さんに還元できることがどんどん増えていくことを実感しました。研究を続けてきて良かったと思えた瞬間でもありました。今は、(僕よりは)若い先生方とデータをまとめ、母子センターから発信できることが楽しみの1つであります。もちろん、基礎研究でも意義ある結果を出していきたいと思っています。

    (写真2)第51回日本小児内分泌学会最終日の集合写真。
    多くの先生方にご参加いただき、どうもありがとうございました。


    さいごに

     研究は臨床研究も基礎研究も等価であると思います。どんな形でも、たとえ症例報告であっても、医学に貢献できることは、とてもやりがいのあることと思っています。また、研究を一生懸命に行った時間は、その後の診療にも大きく役立つと信じています。

  • Vol.5
    鈴木 潤一(すずき じゅんいち)
    所属:日本大学医学部小児科学系小児科学分野 助教

    自己紹介

     日本大学の鈴木潤一と申します。出身は福島県で日本大学を平成14年に卒業し、同年に日本大学小児科に入局しました。2年間の小児科での研修を終えた後に、国立病院機構甲府病院へ2年間出向し、その後大学へ戻り内分泌・糖尿病の臨床に携わっています。
     小児内分泌を専門としようとしたのは、単一の臓器だけではなく全身にかかわる内分泌や免疫を中心とした学問を勉強したいと漠然と考えたことと、学生時代に小児糖尿病サマーキャンプに参加して、1型糖尿病の診療に興味を持ったことがその理由です。学生のころからご指導いただいた浦上達彦先生に小児科入局後も熱心にご指導をうけ、日本大学小児科の内分泌・糖尿病グループでの診療・研究に携わせていただき、現在に至っております。
     現在は大学病院および関連病院の内分泌・糖尿病専門外来を担当しており、約200名の内分泌・糖尿病の患者さんの診療を行っております。

     研修医時代に小児科学会や小児科学東京都地方会などでは、症例報告等の発表はさせていただいたのですが、私が小児内分泌学会で初めて発表したのは、小児1型糖尿病年少例における持続皮下インスリン注入療法(CSII)の有効性と安全性についてでした。その後も臨床研究として小児1型糖尿病における膵島関連自己抗体の検出率、抗体価についての検討や小児糖尿病患者に対する持続血糖モニター(CGM)の有用性など、主に1型糖尿病の臨床研究をする機会をいただきました。現在も小児糖尿病における臨床研究として、インスリン治療および血糖管理の最適化、インスリンや経口血糖降下薬についての臨床研究、重症低血糖や糖尿病性ケトアシドーシスといった急性合併症についての臨床研究などを行っております。

     国際学会にも多く参加する機会をいただき、特に国際小児思春期糖尿病学会(ISPAD)では学会発表だけではなく、様々な国で糖尿病診療を行っている若手医師が参加するISPAD Science Schoolに2009年に参加する機会をいただきました。Science Schoolでは診療や研究について世界のオピニオンリーダーの先生方の講義を受けることができだけではなく、 自分と同じような立場の他国医師と症例を通じてのディスカッションを行うなど交流を深め、様々な国の糖尿病診療の状況を知ることができました。

    2009年ISPAD Science Schoolにて(右下が筆者)

    近年では、学会や研究会の運営にかかわる機会を多くいただき、
    第52回日本小児内分泌学会では事務局を担当させていただきました。

    第52回日本小児内分泌学会学術集会にて(下段中央が浦上達彦先生、中央右が筆者)


     
     診療面では、先にも述べましたが多くの内分泌・糖尿病の患者さんの診療を行っております。その中で常々感じているのは、診療の多くは医療スタッフや同じ内分泌・糖尿病グループの医師との協力のもとに成り立っておりチームで診療を行うことが非常に大切だということです。多くのスタッフが関わることで多面的、客観的に診療を行えることと、患者さん自身にも治療、管理を行うチーム診療の担い手であることを理解していただき、チーム診療の輪に加わっていただくことで、より質の高い診療が行えることが実感できています。
     学生時代から参加していた小児糖尿病サマーキャンプでは、私たち医療者にとってもチーム医療を医療機関以外で実践する貴重な機会であり、現在は責任者としてキャンプを開催、運営する立場になりましたが、多くの若手小児科医、医療スタッフや学生に小児糖尿病サマーキャンプへ是非参加していただきたいと思っています。

    小児糖尿病サマーキャンプにて(右端が筆者)


    メッセージ

     2021年はインスリンが発見されてちょうど100年がたちます。インスリンが発見されるまでは、発症後まもなく死に至る疾患で不治の病とされた1型糖尿病の治療は、インスリンの発見から劇的に進歩を遂げ、現在では健常な人と変わらない寿命を全うすることが治療目標となっています。この100年の間には1型糖尿病の病態解明や検査技術の進歩、治療および管理方法の進歩がなされてきましたが、まだ現在の医学では1型糖尿病は完治できる疾患ではありません。1型糖尿病に限らず、小児内分泌領域の患者さんの予後やQOLを改善するために、私たちは少しでもそのお役に立てるよう診療や研究で努力していく必要があります。小児内分泌の領域に興味を持っている若手の先生方と一緒に、これからの小児内分泌医療の向上に尽力したいと思います。

  • Vol.4
    森川 俊太郎(もりかわ しゅんたろう)
    所属:Washington University in St. Louis(北海道大学小児科より留学中)

    幸せな悩み

    「このまま小児科の一般臨床だけを続けていて本当によいのだろうか?」という考えが頭に浮かんだ瞬間のことは鮮明に覚えています。卒業して6年目の秋、後期研修中だった病院の夜の医局でサマリーを書いている時でした。「もっと専門的な知識を得てたくさんの方々の役に立てるようになりたい」と言えば聞こえはいいのでしょうが、いま振り返ってみると溜まったサマリーからの逃避とも考えられます。とにかく、小児科医としての太い「軸」が必要と感じました。

    当時、主治医として担当していたベビーを通じて、全身の臓器をドラマチックに制御する内分泌の世界に魅力を感じ初めていたこともあり、大学院に進学しました。大学院ですぐに実感したのは、「分かっていること」と「分からないこと」の境界線は意外とすぐそこにある、ということでした。ただ、この境界線がどこにあるのかを見極めるには相当な勉強が必要であることも体感しました。小児内分泌は、臨床と基礎の距離が近い分野のひとつです。小児内分泌の臨床では、「成長」という子どもにとって最も大切な部分に医師として関わることができます。また、自分でピペットを動かす環境があれば、臨床だけでは分からない部分に(少しずつ)分入っていけるのも大きな魅力です。

    臨床の場面で抱いた疑問に、どうにか自分で答えを出せるような知識と経験が必要と感じ、現在は留学先で基礎の勉強をしています。サイエンスの厳しさを前にして、これまでとは違う悩みに事欠きませんが、たくさんの方々に出会い、人生の価値観がひっくり返りそうな経験をしています。でも、そろそろ、「このまま基礎だけを続けていて本当によいのだろうか?」と思い始めるのでしょうか。

    どこかでいつか同じ気持ちになるかもしれない後輩の先生方、お互い悩みは尽きそうにありませんが、私は結構楽しんでいます。
  • Vol.3
    藤澤 泰子(ふじさわ やすこ)
    所属:浜松医科大学医学部 小児科 講師

    自己紹介:

     出身は岐阜県の飛騨古川です。観光で有名な高山市より北に約15kmに位置します。さらに北に上がると、ニュートリノ観察装置であるスーパーカミオカンデのある神岡町があります。静かな小さな田舎町の古川ですが、2016年の大ヒット映画「君の名は。」の舞台となったことで有名になりました。高校は斐太高校。これもわかる年代の人にはわかるドラマ「白線流し」のモデルになった学校です。
     平成9年に浜松医科大学医学部医学科を卒業し同大学小児科に入局し、小児科研修をスタートしました。最初の指導医が内分泌グループ所属であったこともあり、自然とサブスペシャリティーは内分泌となりました。4年間の小児科一般診療を経て(大学病院や関連病院)卒後5年目に浜松医大大学院に入学。DOHaD(Developmental Origin of Health and Deasease)仮説の前身ともいえる、成人病胎児期起源仮説(胎児プログラミング)に着目した研究を行いました。学位取得後はカリフォルニア大学デービス校にて博士研究員(ポスドク)として2年間の研究生活を送りました。帰国後は浜松医大小児科にて内分泌を中心とした臨床と動物実験を中心とした研究を行なっています。現在学内では主な役割は、小児病棟医長・リスクマネージャーという小児科での役割に加えて、浜松医科大学女性医師支援センターの委員も兼任しております。

    研究について

     臨床の仕事が大好きで当直救急NICUガッツで乗り切る、というthe小児科医でしたので、まさか基礎研究にハマっていくなんて思ってもみませんでしたた。大学院に進んだのもなんとなく、です。当時の教授大関武彦先生と研究指導責任者の中川祐一先生から与えられたテーマが「胎児プログラミング仮説の発展」です。「胎児プログラミング仮説」とは、1980年代の「低出生体重児は成人期にいわゆる生活習慣病を発症するリスクが高い」という疫学調査をもとにした「胎児期の環境は成長後の疾病発症リスクに関与する」という考えです。これを発展させ、糖尿病母体から出生した児も生活習慣病を発症しやすいことに注目した研究を行いました。ラットを使った実験にてグルココルチコイド活性の調節酵素である11bHSD1/2の発現変動との関連を明らかにして報告しました。大学院を卒業して2年後、主人がカリフォルニア大学デービス校でのポスドクのポストを得て渡米することになりました。私も同じ大学内の大学院のテーマを発展させた研究ができるいくつかの研究室にアプライしましたが、受け入れてくれるラボはなく、J2ビザ(J1ビザ=研究者に発行されるビザ所有者の配偶者や子供に発行されるビザ)にて渡米しました。渡米後紆余曲折はありましたが幸運にも受け入れてくれるラボがあり、大学院のテーマとは全く異なるミトコンドリアと酸化ストレス研究を開始しました。この時点で2歳になる子供を連れての留学でしたので、長男は渡米直後から現地の保育園に通うことになりました。言葉はもちろん英語のみ。初日は寂しく不安だったのでしょう、お弁当を全部残して帰って来ましたが、翌日は半分、翌々日には完食、とあっというまに順応していきました。2年間という短い時間でしたが、アメリカでの研究生活はなにものにも代えがたい貴重な経験でした。途中で第2子も産まれ、途中で、毒素学の権威であるProfessor Fumio Matsumuraのラボに転ラボし、ダイオキシンレセプターとアポトーシスを研究しました(毒素学の権威。結局アメリカでも筆頭で2本、共著で3本の論文という成果を出すことができました。帰国後は、現在の緒方勤教授のもとでレアな症例に対して分子遺伝学的解析や分子生物学的解析を行い報告してきました。現在はDOHaD理論の発展として胎児期の環境と男性性分化異常症や男性生殖器障害発症との関与を基礎的手法にて明らかにする研究を進めています。かなり発展性のあるテーマだと自負しています。
     研究は難しそう、と思わないで、躊躇することなく飛び込んでみてください。子育て中など時間の制約を感じている先生方チャンスです。子育てと両立している女性研究者が世界中で活躍しています。

    静岡県内の先生たちとWebカンファ。膝を突き合わせた議論ができない寂しさはありますが、
    遠方の先生とのディスカッションが可能に。

    小児科内分泌代謝グループ
     緒方勤教授(前列左端)の後ろが筆者、
    学内共同研究グループ医科学講座 才津浩智教授(前列右側)


    家族のこと

     5人家族です。主人(呼吸器内科医、浜松医大勤務)、男子3人(高校1年生、小学6年生、小学3年生)です。1人目は大学院卒業間際に出産、2人ははアメリカで生まれましたのでアメリカ国籍を持っています。3人とも出産後の育休を取らないで仕事を継続しました。しかし私は小児科の臨床をバリバリ継続していたわけではありません。1人目出産後は小児内分泌外来+実験、2人目はポスドクでしたので定時帰宅、3人目出産後1年して8年ぶりに当直に入りました(若手ドクターが心配そうに!しばらく待機してくれていました)。子供達はベビーシッター、保育園、ファミリーサポート、ときに両方の実家(遠方です)、といったたくさんの親以外の人たちに育ててもらいました。子育ては終わりがなく、特に成長してからのほうが個々の人格も確立してきますので、かなりのエネルギーを使います。赤ちゃん時代には「ここを過ぎれば楽になる〜」と思っていたのですが。私のアメリカでの最初のボス(Professor Cecilia Giulivi, ミトコンドリア研究の権威です)昨年日本に特別講演のために来日しました。彼女はワーキングマザーで2人のお嬢さんがいます。彼女は留学時はチョー怖いボスでしたので、私は随分泣かされたのですが、久しぶりの再会では、家族のこと研究のことをゆっくり話すことができました。私が家でPC開けて仕事をしていると話すと「家で仕事したら、だめよ!子供と向き合わなければ〜。」とお説教されました。私が彼女のラボで働いていたとき、彼女は朝5時にオフィスに来て、夕方5時には絶対に帰宅していました。ランチはパンをかじってコーヒーをすすりながら論文書いていましたっけ。

    最後に

     今回このような執筆の機会をいただきましたことを心より感謝いたします。
     アメリカでの2人目のボスの言葉です。Do you realize how lucky you are for this opportunity to pursue higher education, to work in this lab, and to contribute something to science? 新型コロナ感染症の拡大による緊急事態宣言が出された中でこの原稿を書いています。未曾有の事態のなかで漠然とした不安と緊張感が続いています。自分も医療人のひとりであることに誇りを持って、この状況のなか毅然とすごしたいものです。

  • Vol.2
    鳴海 覚志(なるみ さとし)
    所属:国立成育医療研究センター研究所 分子内分泌研究部 基礎内分泌研究室長

    自己紹介:

     2001年に慶應義塾大学医学部を卒業し、その後の2年間は主に慶大病院小児科で臨床研修を行いました。川崎市立川崎病院(小児科)で2年間勤務した後、医師5年目の時に大学に戻り、小児内分泌代謝グループの一員となりました。時を同じくして大学院に入学し、先天性内分泌疾患の分子メカニズムに関する研究を始めました。このようにして最初の4年間はどっぷり臨床、次の4年間はどっぷり研究という生活を経験し、9年目以降は「自分がよりフィットしていた方に進もう!」と考えていました。結果として研究を続ける進路を選び、現在まで約15年にわたり、先天性内分泌疾患の分子メカニズムに関する研究を行っています。小児内分泌診療は好きですしやりがいも大きかったのですが、グループ内には非常に有能な先輩が何人もおり、「世界一の小児内分泌科医を目指すのは難しいかも・・・」と率直に思いました。一方で小児内分泌学研究はというと、そもそも担い手が少ないこともあり、世界一を目指す上でのチャンスが広がります。また、大学院生時代に行った研究が国際的にも評価されていたこともあり、「粘り強く続ければいずれ世界の小児内分泌学に貢献できるかな・・・」というようなビジョンを描けるようになりました。2016年まで慶大小児科に在籍した後、国立成育医療研究センター研究所・分子内分泌研究部へと移籍しました。現在はチームリーダーとして若い小児内分泌科医たちとともに小児内分泌学研究に没頭する日々を過ごしています。

    恩師3人は小児内分泌科医

     小児科には循環器、呼吸器、腎臓、新生児・・・など10種類を超える専門分野があります。その中で小児内分泌学を選んだ理由について書いてみたいと思います。時は医学部生だった頃にさかのぼります。一連の医学部講義の中で特に内分泌学に興味を持ち、学生が主体的に作る講義録のうち「内分泌学」シリーズの編集を担当するなど積極的に勉強しました。内分泌学は血液中をめぐるホルモンを中心とした学問ですが、このホルモンという物質がとにかく凄いのです。ホルモンは血液中に低濃度にしか存在しないのですが(オリンピックプールにスプーン一杯分くらい)、血中濃度が通常の半分になっても倍になっても、劇的な症状が出現します。昔から暗記が最小限で済むシンプルな科目が好きだった私は、内分泌学こそが最もシンプルな医学領域と感じました。内分泌学ではホルモンの作用の把握が大切であり、内分泌疾患といえばホルモン作用の増強(甲状腺機能亢進症など)か減弱(甲状腺機能低下症など)が主体です。ホルモン作用の基本知識から、病態や臨床症状のあり方が論理的に引き出せることに美しさを感じました。このように学生時代から内分泌学が気になる存在であったため、小児科医になってからもほどなく内分泌代謝グループがサブスペシャリティの候補になりました。とはいえ、小児科医人生を左右する決定とも言えますので、決断を下す前には迷いもありました。最終的に決め手となった要因は、医師としての修行時代に遭遇した3人の「すごい先輩」がいずれも小児内分泌科医だったことでした。

     第一の恩師は研修医時代に国立霞ヶ浦病院(当時)で3か月間お世話になった七尾謙二先生です。一般小児科診療の枠内においても内分泌学の考え方が有効であることを、急性胃腸炎で尿中ケトン体が検出されたお子さんを例にとるなどして丁寧に教えていただきました。小児内分泌学が、成長ホルモン欠損症に代表される特徴的な稀少疾患ばかりを対象とする分野ではないことを教わりました。第二の恩師は川崎市立川崎病院で2年間ご指導いただいた長秀男先生です。内分泌専門医である長先生の外来には多数の小児内分泌疾患患者さんが通院していました。当時、電子カルテが導入されたばかりということもあり、「カルテ入力を手伝いますね!」などと理由をつけては外来を見学し、一緒に診察をさせていただきました。甲状腺ホルモン不応症の患者の検査入院を担当した際には、長先生の指令で白昼堂々と大学に出張し、内分泌代謝グループの先輩に教えていただきながら自らの手でPCR-シーケンスを行い、遺伝子診断を行いました。現在では日本中の小児内分泌疾患患者さんの遺伝子診断に関わっていますが、あの原体験が大きなきっかけとなりました。第三の恩師は大学にいても離れてもつながりのあった長谷川奉延先生です。長谷川先生は優れた小児内分泌科医・小児内分泌学研究者であると同時に卓越した教師兼プロデューサーでもあり、私のサブスペシャリティ選択に決定的な役割を果たしました。そして、内分泌代謝グループに入った後にも、長谷川先生の指導力の恩恵を最大限に受けることになりました。長谷川先生は研究に集中できる環境を整えてくださっただけでなく、私が考えたちょっとした着想や工夫を大切にして下さり、「だめもと」でも新しいことや難しいことに恐れずに挑戦することを許して下さりました。大学には大学院生時代と特任助教時代をあわせて11年間在籍しましたが、まさに人生の収穫期と言える実りの多い期間でした。この間に20本くらいの英文論文を書きました。

    2008年当時の慶大小児科内分泌代謝グループ。中央が長谷川奉延先生。
    筆者(ダークグレーのシャツ)の後方に座っているのが七尾謙二先生

    2008年の米国内分泌学会での筆者(左)と長谷川奉延先生(右)


    小児内分泌学研究の魅力についての私見

     小児内分泌学研究の魅力についてひとこと述べたいと思います。小児内分泌学の特徴として、対象疾患の豊富さ、多彩さが挙げられます。視床下部・下垂体の疾患、甲状腺疾患、カルシウム代謝疾患、糖尿病・低血糖症、性分化疾患、骨系統疾患など様々なホルモン産生臓器、関連臓器の疾患を扱いますし、低身長症や染色体異常症といった臓器の定まらない疾患も対象としています。体中をめぐるさまざまなホルモンの作用や病態をマスターする必要があり、それだけでも飽きることはありません。患者さんを治療する上で様々な種類のホルモン製剤をあやつることになりますが、これらは効いたのか効いていないのかがわかりにくい風邪薬と違って劇的な有効性があります。

     研究的側面からみると、小児内分泌領域の内分泌疾患(ホルモン産生臓器の異常)は先天的な異常(先天性内分泌疾患)が中心です。これらの疾患の根本原因の主体をなすものは、臓器の発生・分化過程の異常や生理作用発揮機構の異常です。これは臓器への過負荷、破壊(腫瘍圧迫、自己免疫機序など)、加齢性変化を主な原因とする成人内分泌学とは大きく異なる点です。先天性内分泌疾患の基盤には遺伝子レベルの変化が存在する事例も多く、先端技術を用いた遺伝学的研究を実践できる分野ともなっています。これらの背景から、ひとりひとりの小児内分泌疾患患者さんを丁寧にみてゆくことが、ホルモン産生臓器の発生、分化、生理作用発揮機構の分子レベルでの理解へ自然に通じていきます。また、現代医療ではただ単に診断にたどりつくだけでなく、患者さんをより精密な細分類へとグループ分けし、個別要因を考慮したベストフィットな診療を行う「プレシジョン医療」の考え方が広がりを見せています。小児内分泌学では「プレシジョン医療」の概念が提唱されるはるか以前から、患者さんの状態を分子レベルで理解しようとする文化が築かれていたと言えそうです。

     残念ながら現時点では良い治療法がない「難病」に該当する小児内分泌疾患も存在します。このような患者さんの希望となるような新しい治療法を開発する上でも、病態を分子レベルで理解することが不可欠です。1920年代のインスリン発見からすみやかな臨床応用の事例に代表されるように、内分泌学は分子をキーワードとした治療展開に可能性が開かれています。「ひとりひとりの患者さんを大切にし、精緻な診療を実践したい」というタイプの医師、医学研究者が大いに活躍できる分野だと思います。分子を基盤とした病態理解や治療に関心のある方、自らの可能性を小児内分泌学というフィールドで試してみたい方、内分泌疾患への探究心を世界の子どもたちのために役立てたいという志に燃えている方・・・ぜひ日本小児内分泌学会の門を叩いていただければと思います。

    2012年当時の慶大小児科内分泌代謝グループ

    国立成育医療研究センター研究所分子内分泌研究部・鳴海チーム。中央が筆者

  • Vol.1
    山本 幸代(やまもと ゆきよ)
    所属:産業医科大学 医学部 医学教育担当教員 准教授

    自己紹介:

    山口大学医学部卒業後、産業医科大学小児科に入局。大学院では、生理学教室でオレキシン、NPYなどの摂食関連ペプチドの研究を行いました。学位取得後メリーランド大学、イリノイ大学シカゴ校に留学し、視床下部での遺伝子発現調節に関する研究をしました。今も細々ですが、後輩の先生方と摂食関連ペプチドの生後発達機構に関する研究も続けています。
    現在学内では医学教育を担当しており、臨床診断学やOSCEなど卒前の臨床教育に携わっています。自分自身も勉強し直すことが多いですが、学生と一緒に純粋に学ぶ喜びを感じることもある日々です。最近の医学部教育では人間性教育のため様々な新しいカリキュラムが取り入れられています。人間性という課題はハードルが高すぎますが、学生たちの真摯に学ぶ姿勢をみると、私自身も初心に戻る気持ちになりやりがいを感じるときもあります。
    小児科での専門診療と臨床研究は継続しており、小児肥満・メタボリックシンドロームや糖尿病に関する臨床研究をしています。我々の教室はサイトカイン解析を行っているので、他グループと共同してヘパトカイン、マイオカイン分泌動態の解析も行っています。学校検尿での尿糖陽性者のβ細胞機能評価にも取り組んでいます。
    最近は市や県など地域の学校保健関係の委員会に参加させていただく機会が増えました。学校や教育委員会など立場が違うと意見が異なる場合も多いですが、それぞれの立場と役割をお互いに理解した活動の重要性を感じます。平成29年度からは九州学校検診協議会の成長発達・小児生活習慣病委員会の委員長をさせていただいています。九州全体の実態調査を行い、九州沖縄地区全体として統一したマニュアル作成やシステム導入などを目指した活動をしています。なかなか浸透しない現実にぶつかることも多いですが、その分やりがいがあると解釈してめげずに継続したいと思います。

    第2回 日本小児内分泌学会 九州沖縄地方会の開催を担当して

    平成31年2月23日に 第2回日本小児内分泌学会 九州・沖縄地方会を担当させていただきました。本会は、地域での小児内分泌学の発展を目的に、日本小児内分泌学会最初の地方会として立ちあげられ、第1回は、井原健二先生(大分大学小児科学教授)が開催されました。一般演題では、貴重な症例の報告、地域での新しい取り組みの紹介、九州全体での臨床研究の提案など、多岐にわたる演題が発表されました。参加者は76名(教育講演講師の大薗恵一先生、伊藤善也先生のほか、理事の長谷川行洋先生、藤原幾磨先生を含む)で、若手からベテランまで各世代の交えての活発な討論は大変有意義であったと思います。若手医師の育成が地方会の重要なテーマの一つですが、中堅以上の先生方もたくさん刺激を受けていたようです。若手の先生同士の交流も活発になり、所属や立場を超えお互いに良い影響を与える機会になったと思います。

    学会の様子と事務局を担当してくださった先生方


    メッセージ

    私が小児内分泌学会に最初に参加したのはまだ内分泌グループに所属する前の3年目の時で、病棟で担当したACTH不応症の兄妹例を発表し、Endocrine Journalにも報告したのが最初の論文です。その後も貴重な症例や研究結果を発表する度に、専門診療に携わる姿勢、学会や論文でその集積を発表する意義など多くのことを学びました。参加される先生方の熱心で真摯な姿勢を感じ、先輩方の姿を見て励まされることが多いです。我々のグループは、大学を離れた後もグループの指導を続けてくださる河田先生、医局を離れてもアドバイスをいただく機会が多い朝山先生や土橋先生の他、川越、久保、荒木、後藤、斉藤、桑村、多久、池上、島本と、多くの後輩が所属するグループになりました。指導することばかりではなく後輩から教わることも多く、先輩だからと気負うことなく、年齢や立場を超えて相談し助けあえることが大事だと感じます。同じグループだけでは、内分泌の魅力を十分に伝えきれませんが、後輩たちも、私と同じように学会に参加し、発表をとおして、多くのことを学んでいると感じます。
    今回このような執筆の機会をいただいたことで、改めてこれまでとこれからのことを考えることができました。小児内分泌医の育成を、学会全体で支援しようという精神を忘れずに、後輩の先生方と共に学んでいきたいと思います。

    内分泌グループの先生方と一緒に(昇進祝いをしていただいたときの記念写真)

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